Essay2 〜感情移入と、僕が文章を書く理由〜


二回目にして、早くもエッセイから外れてきた感はありますが、
今回は『感情移入と、僕が文章を書く理由』ってお題目で行きたいと思います。
つーか、その前にさんざか待たせてどういうことやねん!
というお叱りのお言葉が……
え? 待ってない? それは失礼……悲しいなぁ。

おりしも、コロンビア号が墜落した日に書いております。
そんなことはどうでもいいんですが。本気で。

さて。感情移入。
この言葉は、ゲームシナリオライティングの中でよく耳にするキーワードです。
ゲームの本質として、鑑賞物に干渉できる、
双方向性メディアであると言うことは、よく言われることです。
それは、例えばコントローラーで操作すればマリオが動くと言う
単純な所から始まる、映画や小説などには真似のできない
芸当だったりします。
(テレビについては双方向性を持たせようと
研究が進んでいるようですが、やはり現行で
この性質でゲームに適うメディアはないでしょう)

もちろん、アクションゲームでなくても、
ゲームと名がついてボタンを一回でも押せるものならば、
双方向性がそこに生まれるわけです。
と言うことで、俺の領域であるシナリオを加味したゲームについて。
この場合の双方向性とは一体どのようなことでしょう?
キャラを動かすこと? 買い物をすること?
もちろんそれらも双方向性の一端を担っていますが、
やはり一番重要なのは、ゲームの主人公になりきる為に必要なもの。
つまりは感情移入となってくるわけです。

堀井雄二氏はこの感情移入をよりやりやすくするために、
主人公は決して喋らないという
スタンスを取った話はあまりにも有名でしょう。
「はい」か「いいえ」だけで成立するコミュニケーション。
言えば簡単ですが、成すのは相当苦労があったと思われます。
そして、この方法は見事に当たりました。
皆様も覚えはありませんか?
自分の名前をつけたキャラがモンスターの攻撃を食らうと
『痛っ!』って口走ってしまったあの穢れを知らない青春時代……
そう! それこそ、感情移入なのです!
シナリオを加味するゲームには感情移入が不可欠!
それを、堀井氏はドラクエで実証してくれました。

(余談なので、この談は読み飛ばしてもらってもいいんですが。
逆に、双璧の一角を成すFFシリーズ。
7から感情移入を考えずに、映画的に作り始めてしまったため、
現行のユーザーには受け入れられない状態に陥っているようにわたしは推測します。
かと言って、映画では大赤字。
 ど う し ろ と い う ん だ 。
……やっぱり、合併ですかねぇ?)

さて。感情移入がシナリオを加味するゲームには必要なことは、前述いたしました。
それでは、感情移入をするにはどうすればいいか?
もちろん、堀井氏が使った「台詞を喋らない」と言うルールも存在します。
しかし、世の風潮として、RPGではプレイヤーキャラを、
一人のキャラとして存在させなければユーザーに受け入れられない、
と言うものがあったりします。
つまり。
プレイヤー=主人公
ではなく、
プレイヤー≦主人公
と言う形にならなければならない状態。
こんな状態を、ロールプレイ(なりきり)と言いますね。
RPGはそのまま、なりきりゲームなのですから。
これが現在の主流となっていると思われます。

ちなみに、プレイヤー≧主人公ってものもあります。
代表はやっぱりTRPGでしょうか?
テーブルトークロールプレイングゲーム。
略してTRPG。かなり昔からある遊びです。
これはテーブルと名がつくように、マシン上で動かすゲームではありません。
人と人が、自分のキャラクターになりきって遊ぶゲームなのです。
人間がベースなので、ハプニングを起こせたりしますし、
GM(ゲームマスター)の気分次第で、
今まであったパワーバランスが崩れるなんてのもざらだったりします。
この場合は明らかに、プレイヤーが主人公になっている形でしょう。
プレイヤーが主人公として発言してしまえる世界なのですから。
今回の筋からはそれますが、TRPGはやはり、
一つの道を極めた遊びだと、俺は思ったりするわけです。
いえ、やったことないですけどね(汗

RPGの主人公とプレイヤーの関係は書きました。
では、アドベンチャーゲーム(ADV)ではどうでしょうか?
*注:ADVはテキストを流して読む形式の、
物語性に重視を置いたゲームのこと。
冒険を楽しむゲームではない……
昔はそうだったんだろうけど。
個人的に、未だにこの分類の仕方はどうかなぁと思ったり思わなかったり。

ADVの場合、モノにもよりますが、確固たる主人公がそこに存在しています。
そして、ガンガン台詞を喋ります。
そこにどうやってプレイヤーを入れるか?
一つの方法として、名前変更。
主人公の名前を変更して、プレイヤーと同じ名前にしてしまう方法。
これならば、自分がその場にいるように感じられるかもしれません。
ただ、『俺はこんな口調じゃない』とか言われたら、そこでアウトですが。
もう一つの方法が、主人公紹介。
普通はやらないんですけどね。
これはどちらかと言うと、演劇や映画に基づいた方法です。
主人公の性格や生い立ちをプレイヤーに知ってもらって、
そのうえで主人公になりきってもらう。
これが、この方法の目的です。
ただ、ゲームの本筋と離れてしまう場合があるので
(これも余談ですが、企画書レベルで、主人公の扱いはひどいものです。
他のキャラが1ページ使われているのに、
主人公は3行とかざらにあります。
もちろん主人公の存在がストーリーと密接に関わっているのならば多くなるんですが、
恋愛モノなどの場合は、なかなかその方法を取りづらいと言う現実もあったりします。
余談長いよ……)
ゲームを冗長にさせ、
プレイヤーを飽きさせてしまう原因になったりもする諸刃の剣。
素人にはお勧めできない(マテ

さあ。ここまで、感情移入の方法論を述べました。
でも、これだけだと一長一短ある。どうすればいいのだろうか?
では、肝心の感情移入のメカニズムを考えていきましょう。

感情移入。
(1)他人の言葉や表情をもとに、その感情や態度を追体験すること。共感。
(2)〔哲〕〔英 empathy; (ドイツ) Einfuhlung〕リップスの美学などで、
自然や芸術作品などの対象に自分の感情を投射し一体化すること。
(大事林より抜粋)

えっと。2はこの際、捨て置きましょう。
哲学なんて俺にできるわけもありませんし(泣笑
1の方から。追体験、共感、とあります。
自分に投影して、その状況に置かれた気分になる。
その流れで、相手の気持ちがわかる。
わかりやすく言ってみればこれですかね。
対象となる相手と同じ体験をしていることで、
その気持ちがわかり、相手の立場に立った気分になる。
つまりは、相手と同じ経験がなければ、追体験はできないことになる。
要は、ユーザー様の経験量に因る部分が大きいわけですね。
でも、ユーザー一個人に発信するならともかく、
大多数に発信するわけですから、
ターゲットとなる体験を選ぶのも、
なかなか大変な作業になったりしますね。
(またまた余談ですが、恋愛モノが古今東西何故受けるのか。
これは大多数の人間が恋をしているからなのです。
あたりまえと言えばあたりまえなんですけどね)
もちろん、同じ体験をしていなくても、
似たような体験から憶測を含めて追体験することもできますが、
それにしても宇宙人と一緒にツバメの巣スープを作る時の気持ちなんて、
感情移入できるはずもないわけであります。
(またまたまたまた余談ですが、
FF7ではこのツバメの巣スープみたいなことをやってしまった感がありましたね。
ユーザーに嫌われたのもそこだったんでしょう、おそらく)

また、手法として、この感情移入の作用を逆利用することもできたりします。
主人公を未経験の状態にして、
ユーザーと同期で未知の体験をさせる。
そのリアリティが強ければ強いほど、
ユーザーは疑似体験ができるわけです。
メタルギアソリッドシリーズなどは、
この手法を使って緊張感をユーザーに伝えていますね。
この方法も確かに使える。

しかし、最後にこういってはなんですが、
感情移入させるためのギミックでこれがベスト!
というものは存在していません。
DQ式の台詞なしでは、ストーリーを回すのに限界があります。
主人公紹介については前述のとおり、
余計な部分になってしまう可能性がある。
主人公との同期体験では、
主人公は基本的に受身になってしまいがちになる。
どれをとっても一長一短。
他にも方法があるんでしょうけど、今の俺には考えつきませんし、
おそらくそれも一長一短だと思います。

結局、感情移入はユーザーに頼ったギミックである。
これが俺の持論になります。
あくまで、ユーザーの気持ちの持ちようの問題。
どれだけ面白いストーリーでも、
ユーザーが主人公の気持ちをわかろうとしなければ、面白くなくなってしまう。
感情移入とは、非常に自動的なアクションなのです。
だから、ゲームを楽しむために双方向性。
自らも努力して欲しいと思ったりもします。
(ゲームに限らず、物語全般か……)

さて。そんなこんなで感情移入について話して来ましたが、
もう一つお題が残っています。
僕が文章を書く理由。
………なんじゃこりゃ? 忘れてたよ(マテ

まあ、それは冗談として置いてください。お願い。
俺が文章を書く理由。
それは一も二もなく、読者(ユーザー)に感動を与えるため。
感動って言っても、泣く感動に限らず、笑ったり怒ったり哀れんだり。
その全てを読者に提供したい、と言う気持ちがあります。
そこで、皆様にお願いしたい。
もっと、物語を素直に楽しみましょうよ、と。

俺は単純なのか、結構感情移入しやすいです。
俺の経験もそうさせているのでしょうが、
目の前にあるものにすんなり入り込める。
あまり疑うと言うことをしない人間であるからでしょうか?

だから、ドラマツルギーが崩壊していない限り、
俺はその作品をちゃんと楽しんでいるつもりです。
だって、身銭はたいて買ったのに、
楽しめなかったじゃ話にならないでしょう?
それも、自分がその原因の一端を担っているなんて。

全世界の物語を愛する人たちに。
感情移入は自動的なものです。
他人から作用される事はありますが、
根底は自分自身で決めることです。
だから、物語を楽しむために、 貴方も努力してください。
いえ、別にそんなに難しくはないです。
疑う気持ちを少し和らげて、心を開いて。
そうすれば、今まで楽しめなかったものも、
もしかして楽しめるようになるかもしれませんよ?
どうか、自ら楽しみを拒絶するようなことはなさらないように。

と、言いたいことが言えたところで、今回は終わりにしたいと思います。
え? 感情移入やら物を書く理由はどこにいったって?
いや、すみません……
いつも、言いたいこととテーマが直接結びつかないんですよね……
あはは。

さあ皆さん!
快適なエンジョイライフ
(読書なり映画なり演劇なりゲームなり……)
を楽しむ鍵は、あなたが握っています!
(余談だけど、胡散臭いなぁ……)


(どうでもいいけど、今回余談が多いなぁ。
次からは戯言使いならぬ、
余談使いとしてここで書いてみようかしら?
あ、戯言使いに関しては、西尾維新さんの小説をご覧下さい………
って、これも余談か)



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